2025月7月20日 年間第16主日(C年)のミサ
カトリック香里教会主任司祭:林和則
*当日の9時半のミサは「子どもとともにささげるミサ」を行い、説教も子どもたちに向けて行われました。この「説教の要約」は7時のミサの説教に基づいています。
活動を行うことを主体とした修道会では、しばしば本日の福音「ルカによる福音10章38―42節」を用いて、「マルタ派」か「マリア派」か、どちらが正しいか、と論議されることがあります。「マルタ派」は活動を主にする人、「マリア派」は祈りを主にする人を意味します。そして、両派は時に、お互いを責め合うことがあります。「マルタ派」は、「マリア派」を祈りばかりをして祈りによって活動から逃げていると責め、「マリア派」は「マルタ派」を活動ばかりして、祈りから逃げていると責め合うのです。ただこれは、活動と祈りを相いれない、対極にあるものとして考えることによって生じる不毛な対立であると思います。
本来、活動と祈りは、切り離せないものです。活動すればするほど、祈りが必要になります。活動すればするほど、己の力の限界を知り、神の力を必要とするからです。また、祈りの無い活動はどんどん渇いていき、心がすさんでいき、人を責めがちになります。
同様に、祈る人ほど活動します。祈れば祈るほど神の思いとは相反する世界が見えてきて、そこで苦しむ人びとの叫びが聞こえてきて、何かをせずにはいられなくなるからです。祈る人は神の道具として導かれていくのです。その具体例として、マザー・テレサ(コルカタの聖テレサ)を思い浮かべればいいでしょう。それは己を神に捧げる、神に己を開く祈りです。逆に、自分のための、神に開かれてない祈りは、その人を傲慢にするだけでしょう。
自分のため(名誉欲などから)ではなく、自分を神の道具とする活動は祈りなしにあり得ず、同様に自分を神に開く祈りも活動に向かわずにはいられないのです。「活動」と「祈り」を「マルタ派」と「マリア派」というように切り離して、対立するものとして考えるのは愚かなことと言えるでしょう。
けれども今日の福音を読むと、イエスのマルタへの注意が、活動を否定し、祈りを優先しているかのように見えます。マルタに対し「そんなに動きまわるのはやめて、マリアのようにじっと座って祈りなさい。その方がいいことなのだ」と戒めているように聞こえます。
一般的な解釈としては、実はイエスはマルタの活動を戒めたわけではないといわれています。尊い客人にたいする「もてなし」は大切なことです。それを示すために、本日の第一朗読「創世記18章1―10節」は、アブラハムが神の使いを「もてなす」箇所が選ばれているのです。アブラハムは上等の小麦粉でパン菓子を作らせ、最上の子牛を自ら選んで料理させ、神の使いが食事をしている間、そばに立って給仕します。まさに、忙しく立ち働いています。教会はこの第一朗読をもって、イエスがマルタの「もてなし」を否定しているのではないということを表しています。
新約聖書はギリシア語で書かれていますが、本日の福音で「もてなし(40節)」と訳されているギリシア語は、第二朗読「使徒パウロのコロサイの教会への手紙1章24―28節」の「わたしは教会に仕える者となりました(25節)」の「仕える」と訳されているギリシア語と同じギリシア語「ディアコニア」が使われています。パウロは「御言葉を伝えるという務め(25節より)」のために「教会に仕える者」となったと書いています。これはマリアがイエスの「話(御言葉)に聞き入っていた(39節)」という「御言葉にたいしてのもてなし(ディアコニア)」に対応していると考えられます。教会は第一朗読でマルタの、第二朗読でマリアのそれぞれの「もてなし」を示す朗読箇所を配置することによって、バランスを取っているのかも知れません。どちらもたいせつな「もてなし」であるということです 。
では、イエスはマルタに何を注意されたのでしょうか。
それはマルタが己に与えられた役割を、ただ忠実に果たしてさえいればよかったのに、「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせています(40節)」と言ってしまったことです。実はマリアも「もてなし」をしていたのです。マリアはイエスの話を「聞く」ことによって「もてなし」をしていました。食事の準備も、客人の話を聞くことも、どちらも客人を迎えるためのたいせつな「もてなし」です。それをマルタは自分の役割だけを絶対化して、マリアの役割を否定して、「私」の役割をマリアにもさせるようにと、イエスに願ってしまったわけです。マルタはもちろん善意で「もてなし」をしていますが、自分の役割、働きだけを絶対視して、他の役割、働きを認めないという態度はイエスをも差し置いて、己を中心にして動いていたと言われても仕方がないでしょう。ですからイエスはマルタの「もてなし」そのものを否定したのではなく、それぞれに委ねられている役割を尊重し合うことの大切さを教えたのだと考えることができます。
釜ヶ崎で労働者と共に生きておられて、聖書学者でもある本田神父様はイエスのことば(41―41節)を「マルタ、マルタ、あなたはあれこれ気づかい、心配してくれている。必要なことは人それぞれだよ。マリアは自分にいい方を選んだ。それを取り上げてはならない(新世社「小さくされた人々のための福音」91頁)」と翻訳されています。これはこのような解釈の代表例であると言えます。
ただ、新共同訳聖書での翻訳の「しかし、必要なことはただ一つだけである(42節)」というイエスの言葉がやはり、私には気になります。これに従って考えれば、やはり、イエスはマリアの態度こそを「ただひとつ」として優先しているように思われます。
それを考えるために、今回のイエスのマルタとマリアへの訪問は特別なものであったという視点からの解釈があります。
マルタとマリアの家がある村はルカでは特定されていませんが、ヨハネでは「ベタニア」とされています。また二人の姉妹にはラザロという兄がいて、三人兄妹であったと書かれています。ヨハネの福音11章でイエスが病で亡くなったラザロを生き返らせた出来事が書かれていて、「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた(5節)」と書かれています。イエスにとって、この兄妹が住む「ベタニアの家」は特別な家であったと教会では考えられてきました。イエスにとって休息、癒しの場、また活力を得るための場であったのであろうと。
今回の訪問は、ついにエルサレムへ向かう旅の途上、つまり十字架に向かう決心をした時であったと考えられます。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書では、イエスはその三年間の宣教活動においてエルサレムに向かったのはただ一度であったとされています。共観福音書ではイエスのエルサレムへの旅が十字架への道行きであったことが明確にされています。そしてルカは道行きの初めにベタニアの家を置いているわけです。十字架に向かうイエスの思いがどのようなものであったのか、十字架の直前のゲッセマネの園でのイエスの姿に凝縮されています。ルカ22章では「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください(42節)」「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた(44節)」と描かれています。これだけの苦しみであるならば、その歩みを始める時にもイエスは恐れと不安の中にあったはずです。だとすれば、今回の訪問が特別なものであったことがわかります。
イエスは、ご自分の不安を慰めてもらうため、十字架に向かう力を求めて、特別な思いをもって、ベタニアの姉妹の家を訪ねられたのかもしれません。受難に向かう決心を、マルタとマリアと分かち合いたかった、聞いてもらいたかった。けれども、マルタはそのイエスの思いに気づかず、いつもと同じようにもてなしの準備に追われてしまっていました。それはゲッセマネの園でイエスが苦しむ傍らで眠り込んでいた弟子たちと同じ姿であったといえます。
だから、マリアは「良い方を選んだ」、「必要なことはただひとつだけである」と、この日においてはそうなるのです。マリアはそれをイエスの表情から敏感に察知したのでしょう。ヨハネでは十字架の時でもある過越祭の六日前にもイエスがこの家を訪れたと書かれています。やはりマルタは給仕をしています。マリアはその時には、高価な香油をイエスの足に塗り、自らの髪でぬぐいます。実はこれは弔いの準備だったのです。当時のユダヤでは遺体を埋葬する前に香油でぬぐうという習慣がありました。イエスは数度、受難予告をしましたが、弟子たちはそれを理解せず、受け入れようとはしませんでした。マリアは弟子たちよりもイエスの受難を理解し、その思いをもっとも早く受け止めていたといえます。きっとマリアは泣きながら、イエスの足をぬぐったのでしょう。この姿からも、イエスの思いを敏感に受け止めるマリアの信仰の鋭い感受性が見て取れます。
イエスはもちろん、マルタもマリアもどちらも愛しておられました。ある意味、マルタとマリアはそれぞれが補い合って、イエスをもてなし、イエスの喜びになっていたと思えます。
神と人とをもてなすこと、イエスさまの思いを受け取ること、そのためにマルタのように仕えること、マリアのように敏感な信仰の感受性を持つこと、今日の福音から学びたいと思います。