2025年7月13日 年間第15主日(C年)のミサ

カトリック香里教会主任司祭:林和則

第一朗読「申命記30章10―14節」

「申命記」という書名の「申」という漢字には、本来の中国語では「もう一度、くり返す」という意味があります。モーセは荒れ野の旅の始めにシナイ山のふもとで民に律法を教え、守るようにと命じました(出エジプト記24章)。その後、イスラエルの民は40年間も荒れ野を放浪した末に、とうとう「約束の地」を対岸に目にすることができるヨルダン川東岸に到達しました。その「約束の地」を目にしながら、モーセは「もう一度、くり返して」民に律法を教え、守るように命じたというのが「申命記」という書名の由来になっています。

本日の朗読箇所でモーセは次のように民に告げます。

「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる(14節)」

このことばは、神の子がイエスという人間となって、この世に降臨されたことによって成就しました。「ごく近くに」というのは「物理的な距離」の近さだけではありません。「関係性」の親密さにあります。神のことばが人間となって、私たちと「人格的交わり」を持ってくださったのです。「「父と子と聖霊の神の座」である「天(12節)」から、「子」が「来て(同節)」くださって、人間の言葉で神のことばを「聞かせて(同節)」くださったのです。

さらに「聖体」となってくださったことによって、私たちの「口(14節)」を通して、私たちの「心(同節)」に来てくださったのです。

なんという神秘、なんという恵みでしょうか。私はモーセと共に、神に喜びの叫びをあげずにはおられません。

「いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持 大いなる国民(神の民)がどこにあるだろうか(申命記4章7節)」

キリストを通して、神と出会えた喜びに感謝せずにはおられません。

第二朗読「使徒パウロのコロサイの教会への手紙1章15―20節」

コロサイは現在のトルコの南西部に位置する都市でした。当時はギリシア文化圏の中にありました。この書簡には「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい(8節)」や「世を支配する諸霊とは(キリスト者は)何の関係もない(20節)」といった警告が見られます。どうやら、ギリシア哲学の装いで飾られた汎神論(万物に神霊がやどる)的な宗教がコロサイの教会の信徒を惑わせていたようです。

そのためパウロは、万物は神によって造られたものであり、神に造られたがゆえに万物は尊いという、旧約の創造神の信仰に基づき 、さらに「万物は御子によって、御子のために造られた(16節)」と新約のキリストを通しての創造を語ります。それは「ヨハネによる福音」の冒頭「万物は言(ことば)によって成った(1:3)」という「ロゴス・キリスト論」を想起させます。ギリシア哲学の影響の強いコロサイの町に住む信徒のために、ギリシア哲学的な文脈を用いて、パウロは語ったのだと思われます。

そして「世を支配する」のは「諸霊」ではなく、キリストであることを強調します。「王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られた(16節)。」

ただ、キリストの「支配」は、この世の支配者が行うような「支配」ではありません。イエスはこの世での「支配」に いて、次のように言われています。

「異邦人の間では、支配者と見なされている人びとが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい(マルコによる福音10章43―44節)」

「皆(キリスト教徒だけではなく全人類を含みます)」に「仕える者」「僕」となることを、キリストは「十字架の血によって(20節)」実践されたのです。

万物を「支配」することはキリストにとって、万物を「十字架の血」によってあがない出し、救い出すことであったのです。それは十字架を通して、ご自分を捧げることによって、万物と神を「和解させ(同節)」「平和を打ち立て(同節)」るためでした。

キリストの「支配」は万物のために、ご自分の命を捧げることであったのです。

福音朗読「ルカによる福音10章25―37節」

本日の福音は「善きサマリア人のたとえ」で、ルカだけが書き記しています。

導入部分の「最も重要な掟」に いては、マタイの22章34―40節、マルコの12章28―34節に並行箇所があり、いずれも律法学者に問いかけられて、イエスご自身が答えられたことになっています。ルカだけが「律法の専門家(律法学者)」から問いかけたが、イエスに反問されて律法学者自らが答えたことになっています。イエスに「正しい答えだ(28節)」とほめられたにも関わらず、「彼は自分を正当化しようとして(29節)」「わたしの隣人とはだれですか(同節)」とイエスに問いかけます。答えを知っていながら問いを発したという作為を人びとに疑われたくないための問いかけであったのでしょうが、私たちにしてみると聞くまでもない、わかりきった問いに思えるでしょうが、イエスの時代のユダヤ教にあっては、「隣人」についての範囲の解釈が重要な問題になっていたのです。

ひとつは以前から申し上げているように、ユダヤ地方以外のディアスポラ(ユダヤ人居住地)においては周辺の異邦人が安息日の礼拝に参加することを許容し、それに際しては割礼を受けるなどの律法を守ることを免除しました。けれども当時のユダヤに住むユダヤ人にとって「隣人」とは、同じ神を信じる「ユダヤ教徒」に限定されていました。それはローマ帝国からの独立を願う民族主義の高揚の中で、異邦人に対する反発が強まってもいたからです。そのために、律法を守らずとも、ユダヤ教に好感を抱き、礼拝に参加する異邦人を「隣人」と見なすかどうかは、大きな論点になっていました。

ただ、「敵」である異邦人を「隣人」の「枠」に入れることは議論するまでもないこととして、絶対的に否定されていました。その「敵」の筆頭は「ローマ人」であり、次に来るのが「サマリア人」であったと言えます。

しかしながら、ユダヤ人とサマリア人は本来はダビデが樹立した「イスラエル王国」に属する同じ「イスラエル人」であったのです。「イスラエル王国」がダビデの孫に当たる三代目のレハブアム王の時に「北イスラエル王国」と「南ユダ王国」とに分裂します。そして「北イスラエル王国」は紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされます。アッシリアは占領政策として、首都サマリアに他の国々の民族を大量に移住させ混血をさせることによって、北イスラエル人の血統を絶やそうとします。けれども混血を繰り返しつつも、北イスラエルの民はアイデンティティを失いませんでした。それは彼彼女らがユダヤ教という信仰を持ち、「聖書」を手放さなかったからです。

ただ、サマリア地域に存続した「イスラエル」の民はエルサレムの神殿での礼拝を拒否して、独自の礼拝所(ゲリジム山)を持 など、エルサレムを中心とした「ユダヤ教」とは異質の発展を遂げて行きました。

イエスの時代にはその違いから、互いに自分たちこそが「正当なユダヤ教」であると主張して、互いを異端視し合っていました。このような場合には得てして、全くの他人であるよりも、近しい者であるがゆえにこそ、逆に激しい憎悪が生じてしまうのかも知れません。当時のユダヤ人とサマリア人は激しく憎み合い、互いに相手を「汚れた民」として、挨拶をすることさえも禁じるというような絶縁状態にありました。

イエスはその「サマリア人」を「隣人」のたとえに用いたのです。

ユダヤ人が道中で追いはぎに襲われ、半死半生の状態で横たわっています。そこへ同胞である二人のユダヤ人が通りがかりますが、道の反対側を通って行ってしまいます。ただ、この二人が祭司とレビ人であったことは、単に面倒にまき込まれたくなかったからだけではなかったことが示唆されています。祭司もレビ人も神殿の祭儀に関わる者でした。追いはぎに襲われた人は血まみれで、介抱しようとすれば、その血をあびることになりかねません。ユダヤ教において「血」は「汚れ」であって、これから祭儀の執行に関わる場合に触れてはならないものであったのです。そのため二人は、人ひとりの命よりも祭儀の執行、律法を重んじたがために、「隣人」である同胞を見捨てたのだと考えられるのです。

「隣人を自分のように愛しなさい(27節)」という「律法」に対して「律法」そのものが「壁」になったという皮肉が語られているのではないでしょうか。

そこへサマリア人が来ます。サマリア人とユダヤ人との間にも「汚れた民と関わってはならない」という「律法の壁」があります。その「壁」を突き崩させたものは、「その人を憐れに思い(33節)」という思いでした。

「憐れに思い」と訳されている、原文のギリシア語は「スプランクニゾマイ」です。この言葉は直訳すると「はらわた(胃腸)する」で「はらわたが痛むほどの憐れみ」を意味します。このギリシア語は新約聖書においては12回使われていて、たとえ話では放蕩息子の父親(ルカ15章)、一万タラントンの借金を帳消しにする主人(マタイ18章)、そして本日の善いサマリア人です。他の9回は奇跡を行う際のイエスの人びとへの憐れみに使われているだけです。つまり、たとえ話の登場人物もそうですが、父なる神かイエスの「憐れみ」だけで、人間の「憐れみ」には使われてはいないのです。ですから、この「サマリア人」もイエスをたとえていると考えられます。

イエスにとって「サマリア人」は「敵」ではなく「隣人」なのです。けれども、それは当時のユダヤ社会にあっては容易なことではありません。民族的感情や律法という「壁」を打ち崩さなければならないからです。イエスだからこそ、スプランクニゾマイだからこそ、打ち崩せた、人間的限界を乗り越えたと言えます。

だとしたら、私たち人間には不可能なことなのでしょうか。

けれども、イエスの「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか(36節)」との問いかけに、律法学者は「その人を助けた人です(37節)」と答えます。ここに希望があります。律法学者は「壁」を乗り越えたのです!本来であれば、人びとの前で「サマリア人」を「隣人」であると認めるような答えは「律法学者」には口が裂けても言えないことなのです。なのに、彼はイエスのたとえ話に深く心を揺り動かされて「壁」を乗り越えることができたのです。

きっとイエスはこの問いかけを発する際に「どうかこの人が受け入れてくれますように」と父なる神に祈られていたと思います。そして、それに応えた律法学者に、喜びにあふれながら「行って、あなたも同じようにしなさい(37節)」と新たな生き方に向かってこの人を「派遣」されたのです。それはあらゆる「壁」を越えて、すべての人のために自分が相手の「隣人」となる生き方です。

イエスのことばは聖霊に満ち、力強いのです。このことばに自分を開いて行けば、私たちも人間的な「壁」をきっと越えていける、という希望を持ちましょう。

最後に、もし、イエスが現代のイスラエルに降臨したならば、今日の「善きサマリア人のたとえ」を「善きパレスチナ人のたとえ」に置き換えて語られるであろうと思います。