2025年6月29日 聖ペトロ聖パウロ使徒のミサ

カトリック香里教会主任司祭:林和則

本日の主日は「聖ペトロ 聖パウロ使徒」の祭日をお祝いします。この祭日は毎年6月29日に祝われ、平日に当たる場合が多いのですが、今年は6月29日が日曜日なので、本来の年間第13主日に代わって、この祭日が祝われます。

ペトロとパウロは初代教会を支える二本の大黒柱、と言ってよい存在です。そして、この二人は対照的と言ってよいほどに、性格も人間性も違っていました。

本日の第一朗読「使徒たちの宣教12章1―11節」では、ペトロは受動的な存在として描かれています。ヘロデ王(ヘロデ大王の孫に当たり、紀元41~44年、エルサレムを中心としたユダヤ地方を治めた)によってペトロは逮捕されました。処刑の日の前夜、主の天使が現れ、ペトロを「町に通じる鉄の門(10節)」まで導いて行きます。解放されたペトロは「主が天使を遣わして・・わたしを救い出してくださったのだ(11節)」と主に感謝します。実は、神である主を動かしたのは、ペトロ自身の信仰や祈りによってではなく、「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた(5節)」からだったのです。神は信徒たちの「熱心な祈り」に応えて、天使を遣わしたのです。

ですからペトロには自分を救い出す力はなく、ただ受身的に信徒の祈りと神の働きによって救い出されたのです。これはペトロの生涯を象徴しているかのような出来事です。ペトロはリーダーシップのような能力に乏しく、いつも神と人とに支えられて、使徒の頭としての役割を果たしていたように思えます。

それが具体的に現れているのが48年の「エルサレム会議」です。アンティオキアのような異邦の地にあったディアスポラ(ユダヤ人居住地)のキリスト教徒の共同体に異邦人を受け入れるに当たって、割礼を授けるべきかどうかが、主要なテーマでした。パウロやバルナバがその必要はないと訴えるのに対して、 「ファリサイ派から信者になった人(使徒言行録15章5節)」たちが「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ(同節)」と強硬に反対しました。会議はかなり紛糾したようです。

決議が下される前にペトロがまず立ってパウロとバルナバを擁護します。けれども最終的な決定はヤコブが下すのです。「それで、わたしはこう判断します(同19節)」と前置きをして、異邦人には割礼や律法の義務が免除されるという決定が下されているのです。エルサレム教会の実質的な指導者はヤコブであったことがわかります。ペトロはイエスによって使徒の頭とされたという事実によって、名目的な指導者であったのかも知れません。

また、優柔不断な性格であったとも思えます。最後のばんさんの席において「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません(マルコ26:35)」と誓っておきながら、イエスが逮捕されるとさっさと逃げ出してしまいます。さらに、どうやら裁判の席、イエスの目の前でイエスのことを三度も知らないと宣言してしまいます。でもまた、その直後には「激しく泣いた(マタイ26:75)」と書かれていて、どっちつかずの「弱い」人間だったと思えます。

けれどもイエスは生前、リーダーシップがあったであろうヤコブではなく、ペトロを使徒の頭としたのです。これは人間的に見るならば、間違った判断であったと言えるのかも知れません。けれどもイエスはペトロ、と言うよりも「弱い人」を頭とした共同体を造りたかったのではないかと思えるのです。それを示唆しているように思われるのが、ルカの最後の晩さんの記述において、イエスがペトロの裏切りを予告した後にペトロに言われた言葉です。

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい(ルカによる福音22書31―32節)」

イエスはペトロの弱さを知っていて、ペトロのために祈ってくださるのです。ペトロが立ち直れたのは自分の力ではなく、イエスの祈りによってだったのです。だからこそ、ペトロは自分の弱さを認めて、へりくだり、それによって仲間をゆるすことができるのです。強い者であれば、弱い者の過ちをゆるせずに責めることでしょう。でもイエスの望まれる共同体は、自分の弱さを認める者たちがゆるし合い、支え合う共同体であったのです。何か、結果を出すための効率的で機能的な共同体ではないのです。

そしてペトロはエルサレムの中央教会にいるよりも、各地のディアスポラの教会を巡回していたようで、最終的には「地方教会」であったローマの教会で指導的立場になり、その地で64年から69年ごろに逆さ十字架によって殉教していきます。

対してパウロは 「強い者」であったと言えます。非常に主体的に、積極的に行動します。それは自分に自信があるからです。しかも激情的で、キリスト教徒を迫害するにも、擁護するにしても、中途半端ではなく、徹底的に行います。自分に対しても、他者に対しても、あいまいさをゆるすことができません。

それがもっともよく表れているのが、「ガラテヤの信徒への手紙」にパウロ自身が書いている、ペトロとの衝突です。 「エルサレム会議」のすぐ後に、ペトロはアンティオキアの教会を訪問します。そこではユダヤ人たちは「神を畏れる者」と呼ばれていた異邦人キリスト者と礼拝だけでなく、食事も共にしていました。

割礼を受けているユダヤ人が、割礼を受けていない異邦人と食事を共にすることは律法ではゆるされていませんでした。けれども、当初はペトロは異邦人キリスト者と共に食事をしていました。

ところがエルサレム中央教会の「ヤコブのもとからある人々(ガラテヤ2:12)」が来ると、その食事を避けるようになったのです。それをパウロは「割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだした(同節)」として、人びとの見ている前でペトロを激しく責めました。ユダヤ教的な律法に従う生き方とキリストに従う生き方のどちらをも徹底できずに、あいまいな生き方をしていると非難したのです。現代風に言えば、「ダブルスタンダード(二重基準)」な中途半端さを人びとの前で痛烈に面罵したのです。けれども、ペトロがそれに怒ったり、反論したような様子は書かれていないのです。名目上の教会の頭であるペトロにしてみれば 「メンツをつぶされた」とパウロに激怒しても、おかしくはありません。でも、私は想像します。顔を真っ赤にしながらも、黙ってパウロの前に頭を下げるペトロの姿を。これがペトロなのです。自分の弱さを他者にたいしても認め、へりくだることができるのです。

一方、パウロは自分の正義によってペトロを打ち負かしたことで得意になっていたのではないでしょうか。「強い者」であるパウロは相手の「弱さ」をゆるすことができないのです。

このすぐ後、パウロは長年の宣教の協力者であったバルナバとも衝突します。それは新たな宣教旅行にマルコを連れて行くかどうかを巡ってでした。マルコは以前の宣教旅行で、その過酷さから途中で逃げ出してしまっていました。それをバルナバは「もう一度チャンスをあげよう」と考えたのでしょうか。「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った(使徒言行録15:37)」のですが、パウロは「自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかった者は、連れて行くべきではないと考えた(同15:38)」ので「意見が激しく衝突(同15:39)」してしまい、二人は別行動を取るようになってしまったのです。ここでもやはり、パウロはマルコの「弱さ」をゆるすことができませんでした。ペトロであれば問題なく、むしろ喜んでマルコを連れて行ったことでしょう。

このようにパウロは「強い者」ゆえの「弱い者」を見下す傲慢さがあったと思います。けれども、パウロはそれを認め、自らも苦しんでいました。

「コリントの信徒への手紙二」でパウロは次のように書いています。

「(わたしが)思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです(12章7節)」

この「とげ」は肉体的な何かの疾患であろうと考えられています。「とげ」はパウロをかなり苦しめたようです。そのためにパウロは「(このとげを)離れ去ら

せてくださるように、わたしは三度主に願いました(同12:8)」と書いています。

それに対して主キリストは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ(同12:9)」とパウロに言われます。そしてパウロは「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう(同節)」「わたしは弱いときにこそ強いからです(同12:10)」と「弱さ」を誇るようになります。パウロが自分の「強さ」を誇る時、「自分の力」だけで働こうとします。けれども自分の「弱さ」を認める時、「キリストの力」が働くことを「とげ」は絶えず、パウロにまさに「痛感」させていたのです。

ですからパウロは自分の「傲慢」を絶えず意識し、それを捨てるべく努力していたことがわかります。

本日の第二朗読「使徒パウロのテモテへの手紙」は、ローマの地で捕囚の身となっていたパウロが自らの処刑(斬首刑であったとされています)を前にして書き綴ったものとされています。翻訳ではパウロが自分の人生を得意になって自慢しているかのように思えますが、原文のギリシア語では次のような味わいがあると、聖書学者の雨宮慧神父様は書いています。

「よけいな飾りをそいだ短文の連続になっています。それは殉教の死を迎えようとしているにもかかわらず、静けさのうちにあるパウロの澄み切った心の投影ではないでしょうか(『主日の聖書解説〈C年〉』教友社367頁)」

パウロは手紙の最後、いえ、人生の最後を 「主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン(18節)」という祈りで締めくくっています。パウロは自分の宣教活動も、さまざまな喜びも悲しみも、過ちでさえも、全ては「神の栄光」のためであったと、神に感謝を捧げているのです。

福音朗読「マタイによる福音16章13―19節」

本日の福音でペトロの信仰告白「あなたはメシア、生ける神の子です(16節)」に応えるように、イエスは 「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる(18節)」と言われます。

これは同時に「わたしは『弱い者』の上に教会を建てる」というイエスの宣言であったと思います。「強い者」が上に立ってまとめて行く教会ではなく、「弱いもの」を中心として、みんながその「弱いもの」を支え、助け合うことによって一致する教会をイエスは望んでおられたと思います。

私たちの香里教会もこのイエスの思いを忘れることなく、絶えず「弱い者」、「小さな人びと」を真ん中に、助け合っていく教会になれるように共に歩んで行きましょう。