2025年6月22日 キリストの聖体(C年)のミサ
カトリック香里教会主任司祭:林 和則
*この日の9時半のミサの中で初聖体式が行われましたので、説教は初聖体を受ける子どもたちに向けて行いました。その説教の要約を掲載します。
みなさん、今日は「キリストの聖体」、「ご聖体」のお祝い日です。
最後の晩さんの中で、イエスさまはパンをご自分の体に、ぶどう酒をご自分の血とされました。それは私たちと、いつもいっしょにいるためでした。
それは「そばにいてくださる」なんてものではありません。私たちがイエスさまのパンを食べることによって、私たちの「中にいっしょにいてくださる」ようになったのです。それは私たちとイエスさまが「ひとつ」になることです。
そしてミサに参加しているお友だち、おじさん、おばさんといっしょに同じイエスさまのパンを食べることで、イエスさまを通して、みんなも「ひとつ」になります。それは香里教会だけではありません。今日の主の日に、世界中の教会で時間と場所はちがっていてもミサが行われていて、同じ聖書の箇所を読み、同じイエスさまのお体をいただいているのです。今日、私たちはミサを通して、イエスさまの体、ご聖体を通して、世界中の人たちとひとつになるのです。
そして、ご聖体は私たちがイエスさまのように生きるための力です。イエスさまのように、どんな人でも愛して、どんなひどいことをされても許してあげるというのは、とてもむずかしいことです。自分の力だけではむりです。だからイエスさまのお力をいただいて、イエスさまといっしょにがんばるのです。
「さて、みなさん、イエスさまによく似ている、みんながよく知っているテレビアニメのヒーロー、正義の味方がいます。だれでしょう?」
(初聖体を受けるお子さんの一人が答えてくれました)「アンパンマン!」
「正解です!」(アンパンマンの人形を出しました)
えっ、似ていないって?たしかに姿かたちは似ていません。
似ているのは、アンパンマンも自分の体、パンをみんなに食べさせることなんです。アンパンマンは目の前に、おなかのすいている人、泣いている人を見るとほうっておけないんです。思わず「ぼくを食べて、元気になって!」と自分の頭をちぎって、そのパンをあげるんです。
頭をちぎるんですよ、本当はとってもとっても、痛いと思いますよ。イエスさまもご自分の体をパンにするために、ことばだけではなく、次の日に十字架のすごい痛みと苦しみを受けなければいけなかったんです。ご聖体は「いけにえ」でもあったからです。でも、どんなに痛くても、苦しくても、私たちを助けてあげたい、救ってあげたいという思いでいっぱいだったんです。アンパンマンもそうだと思うんです。イエスさまに似ているでしょう?
「アンパンマン」の作者のやなせたかしさんが50年ほど前、「アンパンマン」のマンガの連載を雑誌で始めた時、「アンパンマン」を書こうと思いたった理由をその雑誌に書いた文章(注)を、何年か前に読んだことがあります。
連載を始める10年ほど前、テレビでは「ウルトラマン」がとても人気があって、やなせさんも夢中になって見ていたそうです。
神父さんもそうでした。その時、神父さんは小学校1年生でした。神父さんだけでなく、クラスのみんなも夢中になって見ていました。
でもだんだん、やなせさんは「ウルトラマンは本当に正義の味方なんだろうか?」と疑いはじめたそうです。ウルトラマンは怪獣をやっつけるためだけれど、大あばれして、ビルや家をめちゃめちゃにこわしてしまう。でも、こわされた人たちに謝らないじゃないか・・・と。
そして私たちが本当に助けてほしいのは、怪獣じゃなくて、失恋して死にそうな時、おなかがすいてたおれそうな時、お金がなくなった時なんだ、そういう細かいところに気がつく、やさしさをもっているのが本当の「正義の味方」じゃないか・・・、と思ったそうです。
それが「アンパン」とつながったのは、やなせさんがちいさな子どもだった時、遠くの町へ遊びに行って、財布を落としてしまった時の思い出からだそうです。電車のキップを買うお金もなくて12キロばかり離れた自分の家まで線路を歩いて帰ることにしたそうです。たくさんの人がいたそうですが、それは全く自分とは無関係で、知らん顔をしていて、ことばさえ通じない外国をひとりぼっちで歩いているようなさみしさを感じたそうです。日もどんどん暮れて暗くなってきて、おなかも減ってきます。涙もポロポロ落ちてきます。
その時、「やなせ君!」と呼ぶ声がしたそうです。見ると、友だちのKくんとお母さんが一緒に立っていて、やなせさんは「地獄に仏!」と思い、ふたりの姿がキラキラとバラ色に輝いているように見えたそうです。
Kくんのお母さんはキップとアンパンを買ってくれたそうです。
「その夜・・・帰りの電車の中で食べたアンパンほどおいしい食べ物をぼくは知りません」とやなせさんは書いています。きっとそれは、アンパンの味だけでなく、Kくんのお母さんのやさしさがいっぱい詰まっていたからだと思います。やなせさんは本当の正義の味方は「ほんのささやかな親切を惜しまない人だ」と考えて「アンパンマン」が生まれたそうです。
イエスさまもまさに「ほんのささやかな親切を惜しまない」、本当の正義の味方です。ご聖体にはイエスさまの愛がいっぱい詰まっています。ご聖体を食べる時、私たちはイエスさまの愛に包みこまれるのです。
注:「アンパンマン雑記帳(『詩とメルヘン(サンリオ)』1976年6月号掲載)」